人生の潤いと共に

主に本について書いてます。特に文学、哲学、学術書についてです。たまにそれ以外のことを言ったり、自論を書くかもしれません。まだ始めたばかりなので記事は少ないですが、一読してくだされば幸いです。

多民族国家と民族意識の芽生えにどう向き合うか。『オスマン帝国500年の平和』を読んで

今回紹介する本は
林 佳世子著『オスマン帝国500年の平和』である。f:id:GoldenMascalese:20190703210615j:plain

嘗てアナトリア半島からアジア、アフリカ、バルカン半島までを支配し、ヨーロッパからも恐れられたオスマン帝国
彼らは西側から見ればスンナ派の擁護者でありイスラム世界の支配者と見えるだろう。しかしオスマン帝国は宗教にはあまり関心がなかった。寧ろ十字軍の方が彼らにとっておっかなく、野蛮に見えていた。それはオスマン帝国と雌雄を争った同じキリスト教ビザンティン帝国も同意見だった。
ではオスマンの統治はどうだったのかというと、正しく共存共栄の文明であった。そしてギリシア正教やそれを守る聖職者も迫害はされずにオスマンの中で生きていた。社会制度はオスマン主導でオスマン帝国に馴染むことが多くの民族にとって立身出世の第一条件となっていたが自治自体は各々の民族に任せていた。これが広大な領土を保全することができたというのは言うまでもない。
オスマン帝国の統治法は興味深く面白い。学校ではオスマンといえばイスラム世界の守護者といった感じで書かれているが、実際にイスラム世界の指導者の称号であるカリフを名乗ったのは18世紀からという説もあり、ここでは多様なオスマンの性格が見て取れる。

そんな多民族国家も数々の矛盾が訪れ、内憂外患に悩まされる日々が出てくる。特に18世紀からオスマン帝国はあるワードの出現によってさらに一層のダメージを蓄積していく。それが『ナショナリズム』である。これは諸説あり古代から存在したとされるが、洗礼された理念しては近代から出て来ている。ウィーン体制の崩壊である。これはオスマン帝国のライバル国であったオーストリアで発祥した一大市民革命運動で、やがてヨーロッパ中に広まるのだが多民族国家にとって存在自体を危ぶませるものとなっていった。彼らの共存共栄という伝統的理念は根本から否定されるのだから。
やがてスラブ民族をまとめ上げた新興国ロシア帝国がやってくる。17世紀のオーストリアが主導した大トルコ戦争により大きく領土を減らしたオスマン帝国の脆弱さをロシアは見逃していなかった。そうして続けざまにクリミア戦争が起きる。これはオスマン帝国の属国であるクリミア・ハン国の影響圏を完全に失うという失態を生んだ。
それはロシア側では『タタール人のくびき』と呼ばれるナショナリズムを煽ったスラブ人側の勝利を生んだ。
立て続けにオスマンは”民族解放”を”掲げるロシア帝国に攻められ、敗北の一途を辿っていった。最早バルカン半島に彼らの居場所はイスタンブールしか残っていなかった。もちろん目まぐるしく昨日の敵が今日は味方となるような複雑怪奇な欧州情勢に孤立していたオスマン帝国が対抗できなかったのも衰退要因の原因であるのも確かだ。
だが、オスマン帝国にとってナショナリズムは思ってもみなかった刺客だったのだろう。

やがて崩壊の一途を辿ったオスマン帝国。国家は分裂しあわやアナトリア半島の覇権まで奪われようかとしていたところ、救世主として知られるトルコ共和国の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクが奇跡的にアナトリア世界とイスタンブールを死守した。
だが、現在のトルコではあの栄華を誇ったオスマン帝国はタブー視されている。一体何故か。著者は興味深いことを書いている。

オスマン帝国トルコ人の国ではなく、誰の国でもなかった。”

これは歴代の為政者にバルカン半島出身者がいた為だろうと推察する。
しかし、現政権の大統領を務めるエルドアン大統領はオスマン帝国復古を掲げていると聞くが、それはトルコ人中心主義の新たなオスマン像である。ナショナリズムは文化主義ともいえるオスマン帝国とは相容れない存在であり、ここにオスマン帝国がタブー視され、自国文化として認めない理由があるのだろう。

最後にナショナリズムを論じてこれを締めたいと思う。
散々ナショナリズムの悪影響らしきものを書いてしまったが、一方的に否定しても仕方がない。確かにナショナリズムは戦争の口実を作るのを容易にし、現在でも数多くの紛争を引き起こす要因となっている。
しかしナショナリズムは団結を組織的に可能とし、個々の精神に所属意識を芽生えさせる。つまり自尊心を高める要因にもなる。
そして穏健なナショナリズムといえば自国文化への愛着。つまり愛国心の養成に役立つ。
そうして他者へ寛容な姿勢を見せれば現在では貶されているナショナリズムも立派なイデオロギーとして君臨することだろうと思う。郷に入れば郷に従え。それも一理あるが私は喩えば移民となってやって来た新たな隣人が自分とは違うものを信仰していても内向的に向けているのならば、それを温かく迎え入れ他の人と同じように接するだろう。
問題はその自我意識が外へと放出されるからだと私は考える。