スラブ文化に対する魅力 その1
スラブ文化が好きだ。こう私が声高に純真な思いで人々に告げるとみんな怪訝そうな顔をして必ず”なんで東欧が好きになったの?”と聞いてくる。開口一番疑問に徹する。当然と言えば当然なのだが、なんとも釈然としない。あの意表を突かれたような表情を私は複雑な思いで眺め遣る。それでもイタリアや、フランスが好きなんだとは言えない。やっぱりそこはスラブ文化でなければ。それでそこまで自分がどうしてスラブ文化に入れ込むようになったのか、三回に分けて書いていく。
- 胸の高まりはひょんなことから
私が思い返すとスラブ文化に熱烈に興味を持ったのはここ数年のことだ。それまではロシアなどで使われるキリル文字を見ては独特な感じだと思ったが、そこまでだった。
ロシアってのはおっかない国だ。一国として世界最大の領土を持ったその巨塔を私は不気味に感じていた。なぜなら私はロシアといえばプーチンという情報しか持ち得ていなかったからだ。あとはロシア料理でボルシチとビーフストロガノフがあること。
他のスラブ系の国のことはよく知らなかった。世界地図が好きで立地だけ覚えているくらい。2014年頃になってウクライナのニュースが取り上げられてて、同じような国なのに争っているなんて可笑しなものだなとその当時は気にも留めなかった。
ある時本屋に立ち寄っていた私は、いつものように文庫コーナーへ颯爽と歩いて行って目新しいものがないかどうかじっと眺めていた。大抵安いし面白い文庫にしか目が行かなかった。一通り見て、一冊買おうと手に取ってレジ近くの海外文学のコーナーを覗いてみた。しかし、単行本で小説を買ったことなどほとんどなかった私はすぐに帰ろうかと思ったが、一冊の薄っぺらい本が目についた。
”マヤコフスキー”
聞いたことのないその名の雰囲気が面白く感じて疼いた。
ドストエフスキーでもなければトルストイでもない。これは何者かと、私は好奇心を胸に一冊棚から手に取ってみた。
正面には精悍だがどこかふざけたような面持ちの芸術家風の男が立っている。この表紙絵は私の心をくすぐった。だけども中身はさらに無垢なこの偏食癖のあるイチ読書家を挑発した。
テンポよく書かれている叫びのような狂おしい詩のリズムは、私に得体のしれないものに触れてしまったという違和感を惜しげもなく押し込んできた。
すかさず値段を確認する。1000円ちょっと。だが詩集にしてはいささかお高いようにも思えた。私は果たしてこれがそれほどの値段を出すほどの価値はあるのだろうかと訝った。それに追い打ちをかけるように当時は本にお金を費やすほどの余裕がなかったことも私を惑わせた。もしこれを買うとしたらいま持っている本はお預けとなる。
悩みに悩んだ末、一先ずその日は文庫本を買って帰った。
数日後にこの本を広げていたのは言うまでもない。私は瞬く間にこの革命的な情熱を引き下げたロシアのアヴァンギャルドにのめり込んでいった。